1993-04-01 第126回国会 参議院 予算委員会 第13号
○野村五男君 六十年十二月に稲井田社長が社長を退任し、六十一年二月六日にはいわゆる四人組と称される人が平和相互銀行を退任している。これら四人組は後々いわゆる特別背任罪で告訴されることになりますが、これは経営手腕がなかったということではなく、平和相互銀行に損害を与えたということであり、退任するのは当然であったかもしれません。
○野村五男君 六十年十二月に稲井田社長が社長を退任し、六十一年二月六日にはいわゆる四人組と称される人が平和相互銀行を退任している。これら四人組は後々いわゆる特別背任罪で告訴されることになりますが、これは経営手腕がなかったということではなく、平和相互銀行に損害を与えたということであり、退任するのは当然であったかもしれません。
いわゆる稲井田社長の更迭が決まったという報道があったその翌日が昭和六十年の十一月二十七日なんですけれども、その日に、ホテルオークラでございますけれども、そこで佐藤さん、真部さん、そして証人、三人で会った御記憶はございますか。
二つ、稲井田社長は責任を痛感し社長を辞任することなどを公表したことから推測しますと、平和相互銀行の状況は極めて厳しい状況にあったと考えられますが、いかがですか。
それから、まだ検査中でございますから最終を迎えているわけではございませんけれども、中間決算に際しまして、このような事態に至った責任を痛感して稲井田社長が辞任して、とりあえず会長が社長を兼務して事態の収拾に当たる。
○委員長(板谷順助君) そこで只今委員長の手許において証人として、商大講師の細野日出男君、京浜急行の井田社長、大阪毎日新聞社政治部長の井上縫三郎君、東京商工会議所調査部長の高瀬千波君、西日本石炭輸送株式会社社長野村治一良君、全日本学生自治会総連合会武井昭夫君それから産別代表は目下調査中でまだ人は決定しておりません。これらの人々を証人として喚問したいと思いますが御異議ありませんか。